高校卒業後、上京しバンド活動を始める(当時はパンクロック)。
2008年頃まで様々なバンドで活動した後、フリーに。
2012年 アメリカに渡りジャズの本場で約1年セッション修行を終え、翌年帰国。
2013年 帰国後、都内の大手音楽教室でベース講師として就任し、プロのキャリアをスタートさせる。
2018年に音楽教室から独立。毎日レッスンが受けられるオンラインスクール「Line on Bass」を立ち上げる。
生年月日と出身
1982年1月13日 新潟県柏崎市生まれ
血液型・性格
B型・有言実行、たまに不実行
趣味
料理
ジム通い
web3
好きなベーシスト
ポール・チェンバース
チャーリーヘイデン
レイ・ブラウン
サム・ジョーンズ
クリスチャン・マクブライド
スコット・ラファロ
ジャコ・パストリアス
ニールス・ペデルセン
エディー・ゴメス
J(LUNASEA)
マッドフリーマン(RANCID)
PON(LAUGHIN`NOSE)
昔のパンクロッカー時代の写真です
先に言っておきますが、僕(講師の星野)は、有名な音楽大学などは出ていません。昔はこんなふうにパンクロッカー。髪がピンクのバンドマンでした。
↑昔です
↑現在はジャズのウッドベース弾いたり
↑登録者13000人のYoutubeチャンネルで、ベーシスト向けの解説をしています。
略歴
高校を卒業し、上京。
美容師として就職するも、パンクロックへの熱い思いを捨てられず、バンドの道へ。夏でも革ジャンと14ホールのゲッタグリップのブーツを履き、真剣にパンクで有名になろうと、18歳から26歳まで東京で約8年間活動を続ける。
当時出演したライブハウスは
高円寺の20000ボルト(現在の東高円寺20000電圧)
高円寺ギア
新宿アンチノック
新宿ウルガ(現在の新宿サムライ)
新宿ACB
新宿ロフト
下北沢シェルター
下北沢251
など。
当時はインディーズでほんの少し雑誌の隅っこに乗った程度だが、バイト代と時間を全てパンクに注ぎんでいたある日、社会に反抗をするテイストの音楽以外で初めて興味を持ったバンドが、
EGO-WRAPPIN’ (エゴラッピン)
であった。(26歳の時)
「どーやってこんなベースライン弾くんだ?」
衝撃であった。
色彩のブルース
サイコアナルシス
くちばしにチェリー
それらの名曲たちの中で使われている、どこを弾いているんだか全くわからないけどなんかとってもかっこいいベースライン。
それまでスリーコードしか弾いたことの無かった3流のロッカーは、意を決し、イチから都内某所の音楽スクールでレッスンを受け始めた。
レッスンを受け始めると、
バッキバキのロックファッションでかっこつけるより、ちゃんとしたベースラインをリズミカルに弾けたほうがかっこいいじゃん!
って価値観になり、
ガンダムみたいだったファッションが、だんだん普通になっていく。
金髪やピンク色だった髪も、いつの間にか、企業の面接に行けそうな普通の黒髪に戻っていく。
この頃から、バンドという形でなく、講師やフリーランスで音楽仕事をしている人間が居るという事を、27歳くらいで初めて知るとともに、遅まきながらも「ベーシスト」としてやっていく道を志す。
30歳で渡米!
久しぶりに新潟の実家に帰省し、「俺来年アメリカ行くわ」と親に切り出す。
「いいかげんにちゃんとしろ!」と猛反対され、妹には泣かれるものの、もとはパンクロッカー。自分の魅力は”勢い”だけである。30歳の誕生日前日に無理矢理渡米し、1年間Jazz本場ニューヨークで毎日ジャズセッションに通う武者修行を刊行。
ただ、真剣にJazzを学ぼうとすると、大変なことだらけ。
Jazz本場のニューヨークでは、
はじめてのジャムセッションで泣きそうになって帰ったこと、
i-real proをセッションで見てたら、「曲はちゃんと覚えてこい」と怒られたこと、
コールされた曲のタイトルが聞き取れず、「セッションする前に英語やってこいよ」と笑われた日々
を愚痴のように日記に綴る。
👉️当時のアメブロ
以下、当時の写真です。
なんとかそれでも、歯を食いしばってアメリカの生活に耐え、現地で自身のファーストJAZZアルバムをレコーディングし、帰国前日にアルバム発売記念ライブを現地の「TOMIJAZZ」で行う。(現在アルバムは廃盤)
ライブ後にファミレスで朝まで飲み、ふらふらになりながらタクシーでジョンFケネディ空港に向かったアメリカ生活のラスト365日目。人生初の音楽で得たライブのギャランティ100ドルは、酔った勢いでチップとしてタクシーの運ちゃんに渡す。
ここまでが、とても濃かった2013年。
帰国後、2014年以降
帰国後の年齢は31歳。
残金は3万円。(貯金ゼロ)
プライベート空間1.5畳のシェアハウスから新生活が始まる。
死に物狂いで東京でゼロから音楽の仕事を必死で探しまくる。結果、大手のミュージックスクールにベース講師として配属され、日本でもプロ活動が始まる。
日中はベース講師を行う傍ら、夜は東京でも毎日ジャムセッションの飛び込み営業を繰り返し、徐々に演奏の場を増やす。2015〜2018年の4年間は、毎年年間100本以上のライブやセッションホストとして活動を行う。
その他経歴
2014年、韓国のクムサンでライブ。
2014年、ベトナムのホーチミンで1週間ライブ。
2015年、イタリアでポスト・ミシェル・ペトルチアーニと呼ばれるピアニスト、Fausto Ferraiuolo氏の来日公演をサポート。
2018年、ニューヨークで活動される、Blue NoteでRon Carter氏とも共演された、Kayo Hiraki氏の来日公演をサポート。
同時期に個人レッスンの生徒数も40名を超え、大手音楽教室から独立。
2019年 結婚。
2020年 Youtube登録者10000人達成!「ウッドベース」「ウォーキングベース」などの検索ワードでは、現在もYoutubeで上位(ほぼ1位)。
2023年 Youtubeでも大人気ベーシスト藤谷一郎氏が主催される16 bass Academyよりオンライン教材「コードと理論がゼロから学べる!ウォーキングベースパーフェクトガイド」をリリース!
2024年 オンラインスクール、Line on Bassを立ち上げる。
そして祈願の第一子を授かる。
僕がLine on Bassを立ち上げた理由
20代の頃、ロックバンドで活動していた私は、ある日街のセッションに参加しました。それまでライブ経験は豊富にあり、人前で演奏することに慣れていたつもりでした。
しかし、セッションで突然譜面を渡され、「それじゃあ弾いてみて」と言われた瞬間、何もできず、冷や汗をかきながらとてもカッコ悪い思いをしました。
その時、セッションに参加していた他のミュージシャンたちは、とても輝いているように見え、即興演奏を自由自在にこなしている姿に強く憧れました。「自分もあんな風に演奏できるようになりたい!」と思い、そこからジャズの演奏を学ぶために書籍を読み漁ったり、レッスンをたくさん受けたりしました。
でも、ジャズで必要なウォーキングベースやアドリブの技術を、順を追って学べるカリキュラムにはなかなか出会うことができませんでした。
そこで、あの頃の自分が抱えたもどかしさや苦労を思い出し、同じように悩んでいる人たちに向けて、効果的なレッスンを提供しよう
と思い、このスクールを立ち上げることにしました。
Line on Bassを通じて、皆さんがJazzやベースの楽しさをより深く感じ、充実した音楽ライフを送れるようになることが私の願いです。