2012年1月から2013年1月まで、1年間ジャズの武者修行でニューヨークに行っていたことがあります。
今もときどき、昔のニューヨーク奮闘記のブログを見ましたというお客様がいらっしゃいます。
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ニューヨークに留学してどうだったか
留学してどうだったかと問われれば、良かったです。いろいろな経験ができました。
私の場合、音楽学生としてではなく、実際は語学学生としての留学でした。当時とても音楽学校へいけるほど、特にジャズ系の学校に行きながら生活していくほどのお金は貯められませんでした。
「ジャズ・スクール」と謳っている団体は少なくないですが、非公式の学校では安い代わりに長期滞在するためのビザが下りないのです。
ニューヨークのジャズ系の音楽スクールだと、私の調べたものでは1年間で200万円から400万円くらいでした。加えて生活費と家賃は別ですニューヨークは物価が高いので、節約しても600万円くらいは必要そうです。
学校に入れば課題も多いでしょうし、バイトも難しいでしょう。その前に、入学辞退の審査が厳しいところも多いと聞きました。
もうここまで来ると次元の違いすぎる話になるので、音楽の学校に行くことは諦めました。
ただ、語学学校なら別です。ビザの審査も厳しくないし、私の通ってたスクールは、年間50~60万円くらいで行けました。
語学を勉強しながらジャズを練習してセッションにいってがんばるぞ!と意気込みました。
アメリカののジャズはどうなのか
ニューヨークのジャズはどうでしたか?とも未だに聞かれます。以下のような体験をしました。
smallsの入り口まで行って、帰った
有名ジャズセッションハウス、マンハッタンのsmallsにいきました。しかし、緊張で足がすくみ、震えだしたので、お店の前まで行ったのに帰りました。
帰りの電車の中で、お腹が痛かったからとか頭が痛かったからとか、誰も見ていないのに必死で自分に言い訳を考えていました。
smallsにようやく入店し、セッションに参加
smallsの平日夕方やっているセッションは、深夜セッションに比べて敷居が低いといわれていたので、参加。それでも当時の私には次元が違いすぎました。通常、ベースからセッション曲をコールする機会って少ないのですが、
「ビギナーです」っていって、無理矢理自分で曲を選ばせてもらってました。
I real Proを見ていたら怒られる
smallsではベーシストの前に譜面台が置いていなかったので、タイトルコールされてわからなかった曲は、iPhoneを足元に置いて譜面をこっそり見ていました。そしたらホストのベーシストに「曲は覚えてこなきゃだめだよ」って怒られました。
譜面を見ている人が少ない
譜面を見て演奏している人が本当に少ないので驚きました。みんな、凄い数の曲を暗譜していました。移調も平気でオーダーされるし、みんな平気で答えていました。
「ラバーカム・バック・トゥ・ミー」のキーA♭のインスト版をみんな涼しい顔してやっているときは、底なしだなあと感じました。
循環は全キーでやれと怒られる
A♭の循環コードの曲で血迷っていたら、循環は全キーでできなきゃと怒られました。
ジャズより英語やってこいよと怒られる
「caravan」といわれたのに、どう勘違いしたのか「if I were a bell」とタイトルコールを聞き間違えて一人で全然違う感じで始めたら、曲が止まってしまい、その時トランペットを吹いていた黒人に、「本当にもうこないで欲しい」というような顔で
「ジャズやるより英語やってこいよ」っていわれました。
ヤケ酒ってあまりやったことないですが、悔しくてヤケ酒しました。
コンセプション事件
「Do you know conception?」と聞かれて「no」と答えました。
何のことすらもわからなかったのですが、曲の名前だったのです。
「conception」を、見ないで弾ける人だけで演奏し始めました。「かっこいい曲だなあ」と思ってI real Proで譜面を見てみたら、あまりにも難しすぎるコード進行に愕然としました。
そんな曲を、やっぱり涼しそうな顔で弾いているプレイヤー達がごろごろ居る世界を見たときに、真剣に帰るべきかを考えました。
Facebookの写真は、当時smallsで撮影したものです。
挫折とホームシック
はじめの2ヶ月位は毎日こんな感じで、友達も居なく、全くついていけないので心が折れかけていました。(当時ジャズ歴3年ちょい)
ホームシックにもなって、日本に帰りたいと思いました。
生活費も思ったより掛かってしまい、心もお金も全く余裕がなくなって、後ろ向きなことばかり考えるようになっていました。
自分を変えたひとこと
そんな、くよくよ悩んでた自分を変えたひとことがありました。
語学学校でランチをしながら、新しくクラスメイトになった日本人の女性とお茶をしていました。彼女はシンガーで、貯金も殆どないのに日本を飛び出してきたといいます。
「まずバイトしなきゃー。んで、英語がんばって歌頑張って~」
「そんないろいろやってたら、寝る時間ないんじゃないの?」
「寝ないで楽しまなきゃ!せっかく芸術の街に来たんだから」
この言葉が、なんか妙に響きました。私も、少しづつ考え方が変わってきました。
「折角来たんだから視野を狭めないで、生活楽しまないとな」と思うようになりました。
お金も心配になってきたので深夜のカラオケ屋さんでアルバイトをはじめました。それ以外は学校と練習と週3から4回のジャムセッションへの通い。
睡眠時間が殆ど無く、体内時計が壊れて自立神経系が少しやばかった気もしますが、それでも、寝る間を惜しんで楽しみました。
音楽だけでなく、労働をしてお金をもらうこと、チップをもらうこと、外国人とプライベートで遊ぶことなど、今まで体験しなかった経験もたくさん出来ました。
どんどんどんどんアグレッシブに、前向きになりました。友だちもでき、バンドも結成。帰国間際ですが、何度か地元のクラブでもライブをさせてもらい、帰国前日にはCDのリリースイベントも開催しました。(冒頭の写真は、当時のレコーディングスタジオ)
留学するといいことがあるのか
留学するといいことがあるのかはわかりません。折角来たけど肌が合わないといって帰国した人も結構知ってます。
日本で当たり前のようにあった練習環境や仲間をゼロから構築しなければいけません。何よりバイタリティが必要です。
ただ、苦しい想いをしたけど、今思えば毎日本場のジャズに触れられて、とても良い経験をしたと思っています。
視点も変わりました。「日本に帰っても、グローバルな視点を忘れずに、毎年世界に出ていこう」と決めました。
あれから2年とちょい。去年はベトナムのツアーを成功させました。
そして、今年はお隣韓国で、ニューヨークに住んでた時の友人ミュージシャンからオファーをいただきました。
今日、これから、韓国のグンサンという街でライブです。
音楽で国境超えられる瞬間って、結構いいです。
当時のブログです。
→ニューヨーク生活記録141記事
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【編集後記】
韓国滞在1日目は、友人のハンスー宅で。ご家族と一緒に晩ごはんを食べました。キムチチゲでした。
ハンスーの家には、普通の冷蔵庫と、キムチ保存用のでっかい冷蔵庫がありました。
「こんなのどこの家も普通だよ」と。
へーへーへーーーでした。
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